2008年05月09日 (金) | 編集 |
2008年5月17日(土)頃まで、インターネット環境の無い場所に籠もっていますので、更新作業ができません。
2008年04月24日 (木) | 編集 |
税制の基本は「国民が納得できる制度である」ことでしょう。
納得できる税制とは、簡潔で、誰にでも判りやすい仕組みのことです。
そのためにも、納得できる税制とは、すべての国民に公平に課税することです。
公平課税とは、国民すべてに公平に課税することです。
すべてということは年齢も性別も、職業も、所得も不問です。
課税を免除する例外を設けるたびに{納得できない税制}になっていくものです。
だから、弱者には課税を免除するのではなく、公平な課税をした後で、必要な援助を与えればいいのです。
所得のない子供や高齢者にも公平に課税するには<国民基本税>という名称が最適でしょう。
国民全員の課税対象を把握するためには<国民総確定申告制度>が必要かもしれません。
二重課税や徴税漏れを防ぐには<個人識別コード番号制度>も必要かもしれません。
納得できる税制とは、簡潔で、誰にでも判りやすい仕組みのことです。
そのためにも、納得できる税制とは、すべての国民に公平に課税することです。
公平課税とは、国民すべてに公平に課税することです。
すべてということは年齢も性別も、職業も、所得も不問です。
課税を免除する例外を設けるたびに{納得できない税制}になっていくものです。
だから、弱者には課税を免除するのではなく、公平な課税をした後で、必要な援助を与えればいいのです。
所得のない子供や高齢者にも公平に課税するには<国民基本税>という名称が最適でしょう。
国民全員の課税対象を把握するためには<国民総確定申告制度>が必要かもしれません。
二重課税や徴税漏れを防ぐには<個人識別コード番号制度>も必要かもしれません。
2008年04月23日 (水) | 編集 |
2008年04月22日 (火) | 編集 |
例えばA市の市議会の定数が20人で、1人の議員の年間報酬が1000万円だとすると、
A市の議員報酬の総額は年間2億円です。
「全議員の報酬総額を投票率と連動させる」というのは、
「年間2億円の議員報酬が支払われるのは現職市議が当選した選挙の投票率が100%だったときだけ」に限定される,ということなのです。
そして、選挙の投票率が70%であれば、当選した20人の市議に支払われる報酬の年間総額は1億4000万円に減額することなのです。
もちろん、投票率が30%であれば、20人の市議に支払われる報酬の年間総額は6000万円に減額することなのです。
そうすると市議の間から
「その1億4000万円を20人で均等に分けて、全市議の年間報酬を同額にするのはおかしい!」
「年間総額を投票率に比例させるのであれば、個々の議員の報酬も、それぞれの議員の得票率に連動させるべきだ!」という声が湧き上がってくるでしょう。
例えば、選挙の投票率が70%であれば、20人の市議に支払われる報酬の年間総額は1億4000万円で、これを20人で均等に配分すると、市議1人の年間報酬は700万円になります。
ところが、この総額1億4000万円を個々の市議の得票率に応じて按分するどうなるでしょう?
たとえば断トツのトップ当選をして、1人で全体の10%の票を集めた市議が現れたとしたら、その市議の報酬は1400万円になるのです。
かたや、2%の得票率でもかろうじて当選したような議員の報酬は、「1億4000万円の2%」ですから280万円になるわけです。
このように、総額を選挙の投票率に比例させ、個々の議員報酬を当人の得票率に比例させると、どうなるでしょうか?
まず、議員全員が「投票率を上げる」ことに真剣に取り組むようになるでしょう。
それは、そのまま「市議会に対する市民の関心を高める」ことになっていきます。
A市の議員報酬の総額は年間2億円です。
「全議員の報酬総額を投票率と連動させる」というのは、
「年間2億円の議員報酬が支払われるのは現職市議が当選した選挙の投票率が100%だったときだけ」に限定される,ということなのです。
そして、選挙の投票率が70%であれば、当選した20人の市議に支払われる報酬の年間総額は1億4000万円に減額することなのです。
もちろん、投票率が30%であれば、20人の市議に支払われる報酬の年間総額は6000万円に減額することなのです。
そうすると市議の間から
「その1億4000万円を20人で均等に分けて、全市議の年間報酬を同額にするのはおかしい!」
「年間総額を投票率に比例させるのであれば、個々の議員の報酬も、それぞれの議員の得票率に連動させるべきだ!」という声が湧き上がってくるでしょう。
例えば、選挙の投票率が70%であれば、20人の市議に支払われる報酬の年間総額は1億4000万円で、これを20人で均等に配分すると、市議1人の年間報酬は700万円になります。
ところが、この総額1億4000万円を個々の市議の得票率に応じて按分するどうなるでしょう?
たとえば断トツのトップ当選をして、1人で全体の10%の票を集めた市議が現れたとしたら、その市議の報酬は1400万円になるのです。
かたや、2%の得票率でもかろうじて当選したような議員の報酬は、「1億4000万円の2%」ですから280万円になるわけです。
このように、総額を選挙の投票率に比例させ、個々の議員報酬を当人の得票率に比例させると、どうなるでしょうか?
まず、議員全員が「投票率を上げる」ことに真剣に取り組むようになるでしょう。
それは、そのまま「市議会に対する市民の関心を高める」ことになっていきます。
2008年04月20日 (日) | 編集 |
2008年04月18日 (金) | 編集 |
そもそも<国全体のこと>を考えるべき国会議員を
都道府県よりもはるかに狭い範囲の<選挙区>で選ぶ選挙制度をとっているから
「自分が選挙区で当選するために有効なことしかやろうとしない政治家」しか生き残らない国になってしまったのです。
そもそも「国全体のこと」を考えるべき国会議員に<選挙区>という概念があるから、
「国全体の利益を無視しても地元の利益を優先させる政治家」だけが生き残らない国になってしまったのです。
国会議員を昔の<参院全国区>のように、日本全国から得票を集められる候補者が当選できる選挙制度にすれば、<特定の専門分野>を極めて強い指導力を持った国会議員が中央省庁の官僚を使いこなせる国になるのです。
本来、国会議員の<選挙区>とは日本全国全ての地域であるべきなのです。
そんな選挙制度の確立に挑戦したいものです。
都道府県よりもはるかに狭い範囲の<選挙区>で選ぶ選挙制度をとっているから
「自分が選挙区で当選するために有効なことしかやろうとしない政治家」しか生き残らない国になってしまったのです。
そもそも「国全体のこと」を考えるべき国会議員に<選挙区>という概念があるから、
「国全体の利益を無視しても地元の利益を優先させる政治家」だけが生き残らない国になってしまったのです。
国会議員を昔の<参院全国区>のように、日本全国から得票を集められる候補者が当選できる選挙制度にすれば、<特定の専門分野>を極めて強い指導力を持った国会議員が中央省庁の官僚を使いこなせる国になるのです。
本来、国会議員の<選挙区>とは日本全国全ての地域であるべきなのです。
そんな選挙制度の確立に挑戦したいものです。
2008年04月17日 (木) | 編集 |
2008年04月15日 (火) | 編集 |
<議員定数男女同数制>というと、その選挙方法は
「男性有権者は男性議員を選び、女性有権者は女性議員を選ぶ」と思うかもしれません。
それでは「男性から選ばれた議員」と「女性から選ばれた議員」ということであって、
「議員定数を男女同数にする」ということではありません。
私が考えている<議員定数男女同数制>の下での選挙は、投票所に
「男性立候補者の中から1人を選んで投票する」投票箱と
「女性立候補者の中から1人を選んで投票する」投票箱の
2つの投票箱が置かれているのです。
つまり、現行の選挙で「地方区に立候補した候補」と「比例区に立候補した候補」の両方に投票するのと同じようなスタイルです。
有権者は「男性候補ならこの人!」そして「女性候補ならこの人!」というように投票することになるのです。
現時点では、どこの議会の選挙でも男性立候補者のほうが圧倒的に多いものです。
だから、<議員定数男女同数制>による最初の選挙では、
女性立候補者の競争率は、男性候補者と比較するとかなり低くなるでしょう。
もしかしたら、立候補者の数が議員定数に満たなくて、<無投票>になる地域が続出するかもしれません。
あるいは、それとは逆に「無投票になるかもしれない」と予想して、立候補する女性がかえって増えるかもしれません。
この<議員定数男女同数制>によって、まず、<選挙>そのものが変わっていくのではないでしょうか?
少なくとも<投票率>は、確実に上がるでしょう。
「男性有権者は男性議員を選び、女性有権者は女性議員を選ぶ」と思うかもしれません。
それでは「男性から選ばれた議員」と「女性から選ばれた議員」ということであって、
「議員定数を男女同数にする」ということではありません。
私が考えている<議員定数男女同数制>の下での選挙は、投票所に
「男性立候補者の中から1人を選んで投票する」投票箱と
「女性立候補者の中から1人を選んで投票する」投票箱の
2つの投票箱が置かれているのです。
つまり、現行の選挙で「地方区に立候補した候補」と「比例区に立候補した候補」の両方に投票するのと同じようなスタイルです。
有権者は「男性候補ならこの人!」そして「女性候補ならこの人!」というように投票することになるのです。
現時点では、どこの議会の選挙でも男性立候補者のほうが圧倒的に多いものです。
だから、<議員定数男女同数制>による最初の選挙では、
女性立候補者の競争率は、男性候補者と比較するとかなり低くなるでしょう。
もしかしたら、立候補者の数が議員定数に満たなくて、<無投票>になる地域が続出するかもしれません。
あるいは、それとは逆に「無投票になるかもしれない」と予想して、立候補する女性がかえって増えるかもしれません。
この<議員定数男女同数制>によって、まず、<選挙>そのものが変わっていくのではないでしょうか?
少なくとも<投票率>は、確実に上がるでしょう。
2008年04月14日 (月) | 編集 |
<入学式>入学金未納の2人、出席させず 千葉県立高 (毎日)というニュースです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080413-00000005-mai-soci
この本質を考えてみましょう。
日本人には「料金を払えない人=社会的弱者」と思い込んでいる人が多いのです。
<本当に貧しくて料金を払えない保護者>と
<本当は払えるのにタカをくくって払おうとしないモンスターペアレンツ>は
明確に区別すべきです。
「本当に払えない親」なら、支払い猶予や分納を願い出れば認められるのです。
今回のニュースによると、その親は、そのようなことをしていないのですから、
責められるべきは「子供をそのような事態にさせてしまった親」なのです。
日本人には「子供の嫌がることを強制する教師の行為は人権侵害である」と思い込んでいる人が多いのです。
学校は<社会のルールを守らない子供を容認する場所>であってはなりません。
学校とは<生徒に社会のルールを厳しく教える場>でもあるのです。
もし、学校が、今回の「入学金未納の生徒」を
「支払っていないのは君のせいではないのだから入学式への出席は認めます」と言って、他の生徒と同じように扱ったら、その子供は将来どのような人間に育つでしょうか?
おそらく「払うべき支払いも払わないでいればそれで済むのだ」と思うようになってしまうのではないでしょうか。
もし、この生徒が「入学金未納によって入学式に出席させて貰えなかったコト」で傷ついたとしたら、それは、学校の教師ではなく、「払えるのに期日までに払おうとしなかった自分の親」を責めるべきであるということを教えたほうがいいのです。
今回のように<入学式への出席停止の措置>をとれば、マスコミによって叩かれるコトを判っていながら、あえて、このような措置を断行した校長や教頭は「事なかれ主義」が蔓延する公教育の世界にあって、それに負けない<勇気ある行動>をとったのだと、評価すべきではないでしょうか?
そのような視点の報道もすべきです。
日本のマスコミには
「官僚・公務員の行動を非難することがマスコミの使命だ」と思い込んでいる人が多いのです。
「官僚・公務員の行動を非難する評論家は進歩的な人である」と思い込んでいる人が多いのです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080413-00000005-mai-soci
この本質を考えてみましょう。
日本人には「料金を払えない人=社会的弱者」と思い込んでいる人が多いのです。
<本当に貧しくて料金を払えない保護者>と
<本当は払えるのにタカをくくって払おうとしないモンスターペアレンツ>は
明確に区別すべきです。
「本当に払えない親」なら、支払い猶予や分納を願い出れば認められるのです。
今回のニュースによると、その親は、そのようなことをしていないのですから、
責められるべきは「子供をそのような事態にさせてしまった親」なのです。
日本人には「子供の嫌がることを強制する教師の行為は人権侵害である」と思い込んでいる人が多いのです。
学校は<社会のルールを守らない子供を容認する場所>であってはなりません。
学校とは<生徒に社会のルールを厳しく教える場>でもあるのです。
もし、学校が、今回の「入学金未納の生徒」を
「支払っていないのは君のせいではないのだから入学式への出席は認めます」と言って、他の生徒と同じように扱ったら、その子供は将来どのような人間に育つでしょうか?
おそらく「払うべき支払いも払わないでいればそれで済むのだ」と思うようになってしまうのではないでしょうか。
もし、この生徒が「入学金未納によって入学式に出席させて貰えなかったコト」で傷ついたとしたら、それは、学校の教師ではなく、「払えるのに期日までに払おうとしなかった自分の親」を責めるべきであるということを教えたほうがいいのです。
今回のように<入学式への出席停止の措置>をとれば、マスコミによって叩かれるコトを判っていながら、あえて、このような措置を断行した校長や教頭は「事なかれ主義」が蔓延する公教育の世界にあって、それに負けない<勇気ある行動>をとったのだと、評価すべきではないでしょうか?
そのような視点の報道もすべきです。
日本のマスコミには
「官僚・公務員の行動を非難することがマスコミの使命だ」と思い込んでいる人が多いのです。
「官僚・公務員の行動を非難する評論家は進歩的な人である」と思い込んでいる人が多いのです。
2008年04月12日 (土) | 編集 |







